推理作家の悦楽?憂鬱?

焚火屋

2012年09月11日 23:04

 先日東野圭吾さんのガリレオシリーズと碇卯人さんの右京シリーズを何冊か読みました。
まぁどちらもドラマ化されてて幾つかは内容も知ってるんですが、やはり原作を読むと面白くってハマってしまいます。

 そんな訳で「気楽に読めるつながり」で、今回は真保裕一さんの「アマルフィ」。



 映画化された時には、あまりに宣伝が露骨だったので見る気がしませんでした(>_<)。

 これを読んで思ったコトは「ついに推理小説もここまで複雑にしなければならないのか!」ってコトです。本筋に至るまでに伏線を2重、3重に張り巡らして読者を右往左往させる企み。まぁ今までに何百何千の推理小説が有る訳で、同じ展開にする訳にはいかないのが道理です。だから、これからの新しい推理小説はもっと複雑になるんでしょうね?(・_・>)

 人気ドラマの「相棒シリーズ」は非常に良く出来たドラマだと思っています。なかなか真相に迫れない難しい謎解き。これも作者がテクニックを駆使してストーリーを組み立ててるからこその面白さなんですよね。昔のシャーロック・ホームズなんかのトリックが可愛く見える程の複雑さ。これも時代の要求だということは確かな事だと思います。でも小説家にとって、この複雑なストーリーというかトリックを考えるのは「悦楽」なのでしょうかね?「苦悩」であり「憂鬱」ではないのかなぁ?
 アイデアが出るまでは苦悩、出てきてしまったら悦楽なのは間違いないでしょうけど・・笑。

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